小さな勇気【アーティストインタビューVol.9藤原キョウスケ】
シンガー兼小説家。
表現としての二足の草鞋を履くキョウスケさんにお話を伺いました。
キョウスケさんに大きな影響を与えた2冊の本にも注目です。
「自分の音楽には自信があった」
キョウスケさんは三人兄弟の末っ子として生まれました。
歳が7つ離れた一番上の兄は、文化祭などでバンドをやっており、そんな兄の姿に憧れていたと言います。
そして小6の時、そのお兄さんが殆ど使わずに押入れにしまっていたエレキギターを、譲り受けました。
「当時は、文化祭のステージに立つのが目標でした」
高校生になって、15歳の時に作詞作曲を始めたキョウスケさん。
中学の仲間でオリジナルバンドを組み、高校3年間を音楽活動に費やしました。
「当時はリードギターだったので、歌はまだ、歌っていませんでした」
キョウスケさんは高校を卒業した後、大学進学のため神奈川県に移住。
大学のサークルでは、軽音楽研究会に所属し、コピーバンドを組んでいたそう。
「ここでやっと、歌も歌うようになりました。コピーバンドだったのでオリジナル曲は歌えず、けれど、家でひっそりと自分の曲を書き溜めていました」
大学卒業を機に、エレキからアコースティックギターに持ち替えたキョウスケさんは、月に2~3回ほどのライブをしながら、youtubeへの弾き語り動画の投稿するなど、本格的に音楽活動をスタートさせました。
「自分の音楽には自信がありました。けれど恥ずかしかったので、周りは言えなかったです。ただ、決め手は音楽に対する自信でした」
周りは就職という安定を選ぶ中、キョウスケさんは音楽という不安定な道を選びました。
それには、小さな勇気が必要だったかもしれません。
「自信」が、そっと背中を押してくれたようです。
それから2年半が過ぎた24歳の途中、キョウスケさんはメンタルをやられてしまい、地元に帰省することに。
半年間、カウセリングにも通ったそう。
そこは薬などには頼らない、対話を通して治していく療法でした。
「先生に『小説を書いてみたら』と言われたんです。自分も書いてみようかなと思いました」
そして3ヶ月間ほどで小説「ひきだし」を書き下ろしました。
音楽よりも、小説の方がダイレクトに、そして論理的に伝えられます。
こうしてキョウスケさんは、「シンガー兼小説家」となりました。
27歳の時、音楽と執筆の活動を一旦休止し、好きな事を続けて行く為にも、ビルメンテナンスになる為の資格を取ったキョウスケさん。
そして、今後の音活動の為にも関東での就職を決めました。
29歳、キョウスケさんは再び音楽活動をスタートさせました。
自己満足
音楽とは「自分の中の、生きていく上での大きな部分」であるキョウスケさんに、曲作りについて伺いました。
「自分の中で、作るものは変わっていきます。その時に作りたいもの作る。自己満足が大事だと思います」
一般的に、悪い文脈で使われる事の多い「自己満足」という言葉ですが、キョウスケさんは、それこそが大切であると語ります。
「自分が満足して作るのは、難しいんです。自分を満足させる様な音楽。本当の意味での自己満足ですね」
満足にこだわるからこそ、レコーディングでは時間がかかってしまうそう。
しかし、キョウスケさんはそれを「努力」ではなく、「ハマっている」と、表現してくれました。
「楽しくないと続かないですよね」
アルバム「もう2度と笑ってくれない気がして」
このアルバムに収録された「少年」という曲。
この曲は、キョウスケさんが22、23歳の時に書いた歌です。
「この曲は、今ではもう書けないですね。『ライ麦畑でつかまえて』という小説からインスピレーションを受けました」
「ライ麦畑でつかまえて」とは、1951年にアメリカで出版された青春小説です。
キョウスケさんは、持ち歩く程、この本が好きだったんだそう。
「この小説の主人公をイメージして書きました」
大人に対する疑念、不満。
思春期の誰もが経験するそんな感情を、当時のキョウスケさんは歌にしました。
もしかしたら、自身もそれと同様の想いを感じていたのかもしれません。
「真面目すぎる性格ではありました」
世の中に対して、真っ向から仁王立ちする様な真面目さ。
その純粋な真面目さは時に、自分に負荷をかける事にもなってしまいます。
そしてこのアルバムに収録されている曲の中には、「汚れる」という言葉が登場します。
キョウスケさんにとって「汚れる」とは、どういう事なのでしょうか。
「これも30歳になった今では書けないですね。僕は昔から、誰に対しても真っ直ぐな、真面目タイプでした。それが自分の個性だと思っていました」
卑しさを嫌い、それらに対して敏感に反応する。
しかし、26歳の時にとある本と出会います。
「その本を読んで、自分はただ『人と違う存在になりたかった』だけなんだなと思いました。自分にとってのアイデンティティーが、『純粋であること』だったんです。『特別でありたい』という気持ちだったと気づいたんです。なんだ、自分も卑しいじゃないかと気付きました」
そうして「汚れる」という感覚は、キョウスケさんの中でなくなっていったようです。
その本の名前は、「嫌われる勇気」。
この本は、アドラー心理学のわかりやすい入門書で、ベストセラーとなりました。
このアルバムで伝えたい事は何ですか?と尋ねると。
「小さい勇気を積み重ねていくことが、大切だという事です。人生の節目、節目では勇気が必要ですから」
そして、キョウスケさんは、病んでしまったあの頃を、振り返ります。
嫌われる勇気
「 26歳で『嫌われる勇気』と出会って色んな事に気付きました。僕は勇気を出す事から逃げていました。小さい勇気を出すとはハードルが高い事ではなくて、目の前の小さなことでも良いんです。小さな勇気を積み重ねていく」
勇気を挫かれてしまった24歳の時。
当時のキョウスケさんは、まだこの勇気が何なのか、まだ分からなかったのかもしれません。
「ちょっとずつ病んでいきました。けれど、現実的な対処をしようとしなかったです。病むことを必要としていたのかもしれません」
赤の他人に己の深い部分をさらけ出すには、勇気が必要です。
小さな勇気が、そっと背中を押したようです。
「自覚なかったけれど、今から考えると、病んでる方が魅力的と思っていたのかも。無意識に。大切なのは、病むのを手放すこと。小さな勇気を出して、病むことを手放していく」
例え誹謗中傷を受けたとしても、軽く受け流す。
小さな勇気を持って。
そして、「病む」ことに頼らない。
キョウスケさんは私達に、「小さな勇気を持つ事の大切さ」を教えてくれました。
そんなキョウスケさんの夢は、
「世界中を旅して、その途中でお客さんにも会って、気に入った所に永住したいですね」
キョウスケさんはこれからも、小さな勇気で夢へと向かって行きます。
その姿は、私達の臆病な背中を、そっと押してくれます。