音楽という居場所【アーティストインタビューVol.7谷直哉】

 

今回インタビューを受けて下さったのは、谷直哉さん!

 

「純粋に、あいつのインタビュー記事を読んでみたい(笑)」

と、以前インタビューさせて頂いた大木大地さんに、ご紹介頂きました。

 

 

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 直哉さんの谷あり山ありの現在までを、追っていきます。

 

 

「お客さんとの掛け合いに惹かれた」

 

「美術系の高校に通っていました。最初は自分も、美術系の分野に進むのかなーと思っていました」

 

しかし、実際に多くのクラスメイトが美術系の分野に進む中、直哉さんには漠然とした気持ちが浮かびました。

 

「美術以外の分野に進もうかな」

 

漠然とした道に進む、それは新しい自分の可能性を見つける旅路でもあります。

ここではない居場所を求めて。

そして高校卒業後、直哉さんはカラオケで歌と出会いました。

 

「緊張しいの性格もあってか、歌を上手く歌えなかったんです。その時の『うまくなってやろう』という悔しさから始まりました。弾き語りを始めたのは、近所の人にギターを譲ってもらってからです」

 

悔しさをバネに、ギターを練習し、ボイトレにも通ったという直哉さん。

そしてこの頃から、ライブハウスにも行き始めるようになりました。

 

「知り合いのライブハウスにお客さんとして行った20歳の頃、大地さんと出会いました。地元が一緒で、歳が近い事もあり、すぐに意気投合しました。大地さんとは、カラオケとかで遊ぶようになりました(笑)」

 

楽しそうな口調から、その仲の良さが伺えます。

相思相愛でしょうか。

初めはお客さんという立場でしたが、やがてステージ上に立つようになった直哉さん。

 

「最初のライブでは、全てカバーを歌いました。その時、お客さんとの掛け合いに惹かれたんです。自分のやっている事が、ちゃんと伝わっているんだなと。自分の思いを届けたい」

 

このお客さんの反応がキッカケで直哉さんは、本格的に作詞作曲を始めました。

 

「最初は聞いているばかりで、自分で届けるという事がいまいちパッとしませんでした。でも、やってみるとわかりました」

 

相手のいないキャッチボールなど、楽しい筈がありません。

ボールが返ってきて初めて、それは表現として成立します。

 

「今思えば、高校時代からアーティストに対する憧れを持っていたのかな。そこでタネを持っていて、大地さんと出会って、芽が出ました」

 

23歳の時、大地さんと入れ違いで同じ音楽学校に入った直哉さん。そこから、重い曲を作れるようになったと言います。

 

「作詞は、そこで基礎を学びました。先生に『綺麗な言葉が並びすぎて、リアルさがない』と言われてしまいました。その言葉が、いい意味でグサっときたんです」

 

人間の汚さ、生々しさ、そういった決して綺麗ではない詞の方が、聴く人のより深い核の部分に突き刺さります。

服にこびりついて、まるで取れない血の様なリアルさ。

そういうの詞の方が人間の心を動かします。

 

「学校で仲間ができたのも嬉しかったです。『自分の表現じゃダメなのかな』という時には、いつも仲間に助けられました。もし、仲間がいなかったら、今ごろ音楽を諦めて違う道に進でいるかも」

 

 

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自分との向き合い

 

「初めてのライブが印象に残ってます。やはり、とても緊張しました。緊張で実力が出せなくて、悔しい思いをする事が多いんです。けれど、緊張する事にはそこまで悪いイメージは持ってません。音楽に真剣に向き合ってる証拠だと思ってます」

 

緊張は真剣である証拠。

しかし、その真剣であるが故に、失敗してしまう事もあるそうです。

 

「緊張で自分の曲が飛んでしまったりするんです(笑)。そんな時は、無理やりやり過ごします。そこで即興で作ったりして、その場をしのぎますね(笑)」

 

この話を伺っている時、デジャヴを感じました。

大木大地さんをインタビューした際にも、「ギターの弦が切れても、やり過ごした」というお話がありました。

直哉さんと、大地さんの間には多くの共通点があるようです。

 

「その即興で作ったメロディーを気に入った時は、次の曲の制作で参考にする事もあります」

 

転んでもただでは起き上がらないとは、まさにこのこと。

 

「僕は引っ込み思案なので、自分との向き合いですね。もっと自分の表現をいろんな人に聞いてほしいです。もう27歳なので、周りの同級生は結婚していたり、仕事していたり。分岐点なのかなーとも思います」

 

人生には様々な選択肢があります。

何を選ぶのが正解なのか、誰にも分かりません。

しかし間違いないのは、日々の感情を曲にして残せるという事が、シンガーソングライターのいい所。

 

「本音ところは、アーティストとしてやって行きたいという気持ちが隠しきれないです」

 

絵を描く様に

 

 「音楽は辞めようと思っても、辞めらないですね。自分を表現しておける、人生そのもの、お客さんと共有できるものですね」

 

直哉さんは、美術系の高校に通ってた事もあり、その画力は折り紙つき。

絵を描く事と、曲を作る事、同じ表現として似ている部分はあるのでしょうか。

 

「絵を描いている時と、曲を作ってる時では、同じ感覚がしますね。表現という部分で似ています。絵を描く様に、音楽を作っていますね」

 

絵を描く様に音楽を作る、とても美しい表現です。

 直哉さんは、表現という場所に居場所を見つけている様子。

 

 

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声を喪う

 

「表現しているものがこれでいいのかな。表現しきれないのかな」

 

26歳の頃、音楽というよりも、普段の日常生活で、直哉さんの神経は疲れてしまいました。

しかし、誰にも相談出来なかったと言います。

 

「その時、言葉が出なくなってしまったんです。全く、喋る事が出来なりました」

 

直哉さんは、声を喪ってしまいました。

まるで、オルゴールの音が急に終わってしまう様に。

そんな事もあり、直哉さんは少し休養を取りました。

 

「でも、歌っている時にだけ、声が出たんです。歌なら、自分を出せる。歌は歌えました。音楽だけが助けてくれて、音楽の中では自由でした」

 

音楽という居場所。

その場所で直哉さんは、声を取り戻しました。

そして、その声は想いを紡いでいきます。

 

「音楽があるからこそ、自分を取り戻せました。歌った後は話せたんです。歌っているイメージを思い出して、段々と話せるようになりました」

 

声が出ないというもどかしさ、直哉さんはその当時の想いを音楽にぶつけたと言います。

 

「強い思いが歌詞に表れて、より、リアリティーが出ました。焦って業務的に作っているよりも、何か強い思いがある時の方がスラスラ生まれます。人間の深い部分を出せた時、いい曲になります。そんな曲は、歌っている時にも納得します」

 

歌詞のリアリティーとは、まさに音楽の専門学校で指摘された事でした。

声が出ないというもどかしい思いが、生々しい曲を作り出しました。

 

 

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直哉さんの夢は、とお聞きすると、

 

「聴いてくださる方にとって、自信を持って好きと言っていただけるアーティストになりたいです。また、その先の表現を共有できる空間で、たくさんの方と歌えることができたら凄く幸せなことだなと思います」

 

と語ってくれました。

声を喪っていたとは、今の夢を語る声からは想像出来ません。

それも、音楽という居場所のお陰なのかも。

 

声が出ない、いわゆる普通の人達に出来る事が、出来なくなる。

それが、どれ程の恐怖なのか。

インタビュー時、直哉さんは初め、声を喪った事について記事にするのをためらっていました。

それ程、ご自身にとって辛い経験でした。

 

その声はこれからも、私達に、届いていきます。

 

 

 

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