震える音楽を【アーティストインタビューVol.8ヤマモトダイ】
今回インタビューを受けて下さったのは、バンド「アシタカラー」のヤマモトダイさん!
一番好きなバンドが「クイーン」だというダイさんの、その音楽に対する想いと、情熱について、お伺いしました。
バンドの解散、そして結成
「父親が、子供に音楽を習わせたかったという事もあり、5歳の時にクラシックピアノを始めました。それが音楽との初めての出会いでした」
親御さんの影響で、幼少から音楽に触れていたというダイさん。
高校生の時は、「ぼやぼやとミュージシャンになりたいなー」と思っていたそう。
「クラスでは、あまり目立つようなタイプではなかったです。自分を認めて欲しいという欲求と、可愛い子にモテたいという気持ちがありました(笑)」
可愛い子にモテたい・・・。とても正直に語って頂きました。
ダイさんの歌声を聴いたら、どんな子でも惹かれてしまうでしょう。
「やっぱり、歌う事が好きです。緊張して女の子と話せず、電話でも沈黙が1分間とか(笑)。でも、カラオケだと緊張せずに歌えたんです」
ダイさんの可愛い一面を垣間見えたような気がします。
それでもやはり、音楽の中では緊張せずに自分を出せたようです。
「大学生の時は、上京していて、ストリートライブをやってみたいという気持ちがありました。すると、大学での隣の席の奴がたまたまストリートライブをやっていたんです。アコースティックギターも、この頃に買いました」
ストリートライブはやはり、大変な勇気が必要なはず。
しかしその分、楽しい事も多いと言います。
「立ち止まってくれる人達との交流は、ライブをやっていく中での楽しみです」
そんなダイさんは、いつ頃から音楽の道で生きようと決心したのでしょうか。
「就職活動は、人生経験としてやってみようと思いました。けれど、就職してから音楽活動を始めるのだと、遅いのかなと、当時は思いました。就活によって、音楽活動への希望がより強まりました」
大学卒業時には、決意を固めていたというダイさん。
そして、上京してきた友達と、インターネットでメンバー募集して知り合った計4人でバンドを組み、音楽活動をスタートさせました。
大学卒業してから2年後、紆余曲折を経てそのバンドは3人になっていました。
その上、同じく大学進学を機に上京していたバンドのメンバーの一人が病気になってしまい、そのまま地元に帰ってしまいました。
「大切な大学の仲間だったんです。2人残って活動を続けるという道もあるけど、結局やめようとなりました。その後は一年くらい、音楽活動から離れていました」
それでもどこか諦め切れなかったダイさんは、当時をこう振り返ります。
「バンド解散する時、できていた曲がありました。だんだん曲ができ始めている途中だったんです。自分の可能性を捨てれなかった。やり切ってなかったなというか。自分が作る曲の可能性を、じわじわと感じていました」
ダイさんは、「やっぱりやりたい」と思ったそう。
別れがあれば、出会いもある。
それはまるで「魔法」の様に、繋がっていきます。
「その解散したバンドで、サポートベースをやってくれていた人に連絡を取ってみました。丁度、その人もバンドを辞めていたので、『一緒にやろう』となりました」
そうして、現在に繋がるバンド「アシタカラー」が結成されました。
どんな道であれ、振り返れば雨上がりに虹がかかっているのだと、ダイさんは教えてくれます。
アシタカラー
「当時、横文字のバンドが多かったので、バンドの名前はひらがなやカタカナにしたいなと思いました。そして、『アシタカラー』というどこにもない言葉にしました」
「アシタカラー」は、日常に溶け込むような言葉という意味なのだそう。
「『明日から始めてもいいよ』『明日からじゃなくて、今日からでもいいんだよ』と、いろんな見方でこの名前の意味を捉えてほしい。一つの意味に限定してしまうのではなく、各々の見方に任せたいです」
以前のバンドでは、切ない曲をよく歌っていたというダイさん。
けれども今のバンドでは、明るい曲を歌いたいと語ります。
「切ない曲を、何十年も歌い続けられないなと思いました。今は、バラードで泣かせるよりも、楽しませたい。もっと、アップテンポの曲を歌いたい。5、60代になっても楽しく演奏していたいです」
「アシタカラー」の曲に元気づけられ、私達も明日から、または今日から、一歩を踏み出せそうな気がします。
震える音楽を
「曲を作る時には、自分がその曲で震えるかどうかを意識しています。自分の心が動いてないなら、それは作品じゃないと思います」
曲によって心を動かす。
それは、商業的な音楽ではなし得ない、芸術の領域です。
しかし、そうした道を進むには只ならぬ勇気が必要なはず。
「売れる曲を書こうという風潮もあるけど、自分が震えていなかったら、やっぱりダメだと思います」
ダイさんは、音楽に対するその熱い気持ちを続けます。
「例え流行歌じゃなくても、自分が震えてるのなら、他にも震えてくれる人がいるはず」
自分が震える曲を出していく。
自分がいいと思うものを貫く。
そしてそれは、必ず誰かに届きます。
「流行に乗ってしまうと、流行は作れない」
ダイさんのその言葉は、ついつい逸れた方向へ行きがちな私達への、重要なメッセージでもあります。
魚にだって、その流れに逆らってでも自分を貫かなくてはならない時が、きっとあるはず。
「流行にただ乗るのは、精神の衛生面上もよくない。自分の好きなものを世の中にフィットさせていく方が精神衛生上いいと思う。表現においては、自分の作りたいものを作る」
本当に素晴らしいお言葉を頂戴しました。
売れる曲を作ったとしても、自分が納得していなければそれは、自分にとって負荷となり得ます。
ダイさんは、一体いつからこの様に自分の音楽を貫こうと思い至ったのでしょうか?
「実は30代に入ってから、やっとそう思うようになったんです(笑)。周りのみんなはやっぱり、流行りの曲を作ろうという会話が出てきます。ライブなどで共演すると、みんな同じ音楽をやっていたりだとか。それだと、誰がやっても同じになってしまうんですよね」
皆んな同じ事をやっていたんでは、代替可能のアーティストになってしまう。
ダイさんが目指すのは、唯一無二のアーティスト。
その生き様が人の心を震わせた「クイーン」の様に。
「それに気づいてからは、自分が震える音楽を作るようにしています」
音楽結成当初、周りからは「こういう音楽の方が売れるよ」と言われ、軸がブレることもあったのだそう。
けれど、そういうブレてしまった時期があるからこそ、今の軸があるんだと、ダイさんは語ります。
「自分に嘘ついてないから、やりがいがある。自分を貫きつつも、世の中にフィットするように。それは、勇気がいる事でもありますね」
その勇気はやはり、音楽に対する圧倒的な熱量から生じるのでしょう。
では、ダイさんにとって音楽とは何なのでしょうか。
「音楽ってやっぱり凄い!」
迷いなく、勢いよくそう答えてくれました。
「音楽は、宗教色が強いと思います。漫画とか、映画とかは、人間が創り出したモノだけれど、音は人間がいる前からありました。共通言語にすらなります」
音楽とは、「人間を超越した不思議なもの」であるからこそ、人の心を動かす事が出来るのだなと、納得しました。
素っ裸になれるる場所
「ライブは素っ裸にれる場所です。自分の生きてきた積み重ねが、全部バレてしまいますね。厳しい場所だけど、楽しい場所でもあります」
ファンの方々にも堂々と素っ裸になれる様にと、ダイさんは日常生活から気を遣っている様子。
そんなダイさんにとってファンとは、「自分が音楽をする上で、なくてはならない存在」と教えてくれました。
加えて、音楽に挑戦できる理由でもあるのだそう。
そして音楽と自分について、独特な考えをお持ちです。
「僕が作った音楽を好きになってくれるファンは、凄いなと思うんですよね。音楽という、自分が作ったものだけど、自分から離れているものを好きになってくれるって、凄いなと」
「自分が作ったものだけど、自分が離れているもの」とは、どういう意味なのでしょうか。
「曲を作り終えると、その曲を自分が作ったとを信じられないんです。そこでも、『この曲は自分だけの力では作ってないんだよなー』と感じます」
曲には他人感がある。
そこには、曲が成立するまでに関わってくれた人達、そしてそれを聞いてくれるファンの人達への、感謝の気持ちが含まれているのでしょう。
「なかなかの頻度で落ち込みますね」
「創作活動は骨の折れる作業。特に宣伝活動とか、音楽活動以外の所は大変です。曲を作る事は好きだけど、それ以外は苦手だってアーティストは多いですね」
曲は、人と人とがぶつかることろで生まれる。
音楽以外の活動は、苦労するけど新しい感覚でもあるのだと、教えてくれました。
「そこもなるべく楽しみたいんですよね。全て自分のやりたいように出来るので」
全て自分でやる事で、業者の人達の気持ちもわかるようになったのだそう。
「僕は自分でできること事は、自分でやった方がいいかなと思います」
これは、音楽以外の活動で悩んでいる、苦労しているアーティストにとって、参考になる言葉だと思います。
しかしそんなダイさんでも、落ち込んでしまう事が頻繁にあるようです。
「CDが売れなかったり、自信のあった新曲の反応な少なかったりとかで、落ち込んでしまいます。凄い曲を聴いて、落ち込んでしまう事もあります。なかなかの頻度で落ち込みますね(笑)」
日常的に落ち込んでしまう事が多いのだそう。
しかし、それは妥協した道を歩んでいない証拠でもあります。
「楽しい事をするなら、楽をしちゃダメだよ。だからこそ、落ち込むし、楽しめるんだ」
その言葉が、熱く、胸に響きました。
そしてダイさんの夢は、「Zepp Tokyoでライブをする」こと。
夢を追う道のりでは、様々な苦難があります。
しかも楽な道ではなく、自分を貫き続けるという茨(いばら)の道。
自らの軸を疑ってしまう事や、落ち込んでしまう事が、あるかもしれません。
自分の信条とは異なる、ただ流行に乗った歌を歌う人が、抜き去っていくかもしれません。
けれども、自分の軸を信じ、自分や他人を震わせ続けた先には、きっと夢が待っているはず。
その夢に到達した時、ダイさんは、私達は、こう歌うのでしょう。