アーティストインタビューvol.2・松丸廉

 

今回インタビューを受けて頂いたのは松丸廉さん。

現在19歳のシンガーソングライターです。

YouTube「小さな恋のうた」が300万再生を突破し、話題となりました。

 

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廉さんの現在までの道程について伝えていきます。

 

結局音楽だなって」

 

「年長でギターに興味を持ち、小1から習い事として始めました」

 

音楽との出会いが早かった廉さん。スキマスイッチが好きだったんだとか。

この習い事は小4で辞めてしまい、それからは野球に打ち込みます。

そしてこの野球も中2になると辞めてしまいます。

 

「遊びたくて部活を辞めたんだけど、やる事が無くなった」

 

当時、周りで軽音が流行っており、「結局音楽だな」と再び音楽の道に入っていきました。

 

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「なんかYouTubeカッコいい!」と、まだユーチューバーという言葉もない頃、友達とバンドを組み、投稿を始めました。

この時は音楽を心の底から楽しんでいたのでしょう。

 

「単体で動くのは嫌で」

その人望もあってか、廉さんが動く時にはいつも周りがついて来てくれたそう。

「小さな恋のうた」を投稿したのもこの頃です。

 

中3でバンドを辞めた後も音楽を続けていましたが、ここからは1人でした。

 

実は「歌を歌うのは好きじゃなかった」と語る廉さん。

ギターは好きでしたが、1人でこれ一本は厳しいと考え、歌の練習も始めました。

 

高1でたまたま出たライブで和真さんと出会い、6つ上である彼から猛アタックを受けたそう。

 

その時の正直な感想は?

「先輩だし、ちょっと厳しい・・・」と笑って答えてくれました。

出会った当初は人見知りが発動してしまった廉さんですが、その後、ちょくちょく遊ぶようになり、関係を深めていった二人。

 

しかし、この出会いがその後の自分の人生に大きな影響を与えるとは、まだ知りませんでした。

 

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「自分のために曲を作ってますね」

 

曲作りに関しては和真さんと対照的な廉さん。

「自分をバカにした奴を見返す。自分の生きてきたものを表す」

 

と言いつつ、「聴く人によって受け取り方が違う音楽」を目指しており、自分の為の曲であっても、その歌は私たちの心に熱く刺さります。

 

廉さんにとって音楽とは、「人と人を繋げる、元気になれる、楽しさが倍増する、そんなコンテンツ」

そしてそれは「学校の様な感情の集大成」とも語ります。

確かに、廉さんの音楽には喜怒哀楽がある様に思います。

 

廉さんはcover動画を多くあげていますが、それには何か理由があるのでしょうか。

 

「これを通して自分が好きなアーティストを皆んなにも知ってもらえたら嬉しい」

 

しかし、それは廉さんにとってただのカバーではなさそうです。

 

「どうやって本家に近付けるかより、どうやって自分の曲にするか、自分の世界に持ってくるか。挑戦ですね」

 

その活躍により、廉さんのYouTubeの登録者数は1万7千人を超えています。

その上、歳はまだ19歳、天才と呼ばれることも多いでしょう。

けれど、話を聴くうちに違った一面が見えてきました。

 

「天才に見られるけど、ずっと続けてきた努力の積み重ね」

 

時には、前作を超えなくちゃいけないというプレッシャーで落ち込むそうです。

 

「常に自分に満足できない。高みを目指して人一倍努力する」

 

廉さんを、天才という一言で片ずける事が出来るでしょうか。

彼は、小さい頃からその魅力に惹かれ、音楽をやらないでは、いや、やらずにはいられない努力家です。

しかし、そんな廉さんにも音楽を嫌いになった時期がありました。

 

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「音楽を作る事も、聴く事さえも嫌になった」

 

高3から2018年の8月まで、廉さんはとあるライブハウスで週1でライブを行っていました。

卒業後は、仕事の合間を見つけては音楽をやるという多忙な生活。

 

「ライブハウスでは集客というプレッシャーに悩み、自分のレベルを痛感し、大人の汚い部分も見てしまいました」

 

これまでの声のトーンとは明らかに違う、それは電話越しからも伝わりました。

 

「もう音楽を作る事も、聴く事も嫌になっていました。自分の音楽に意味を見出せなかった」

 

そして、いつもの歌声とは明らかに違う声を、更に絞り出します。

 

「もう無理だ、辞めよう、と思った」

 

実際、ライブを飛ばしてしまおうかとも考えます。

和真さんと共演する事になっていたライブも飛ばそうと思ったそう。

 

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「これは一緒にやろう!!」

和真さんの以前の様な猛アタックに再び折れ、廉さんはこのライブは出ようと決心します。

 

「このライブがすげー楽しくて!」

「一緒に路上やろう!となりました」

 

こうした挫折を経て、廉さんは和真さんと共に路上ライブをやる事になります。

集客というプレッシャーが無くなり、路上ライブが楽しいと語る廉さん。

中二の頃、音楽を遊びとして自由に興じていたあの頃を、思い出した様です。

 

それは、和真さんの存在が大きいとを語ります。

「こんな事、本人には言わないんだけどね・・・」

この言葉を皮切りに、廉さんの和真さんへの想いが溢れ出していきます。

 

「ずまと関わって、人間と音楽を変えて貰った。感謝しかしていない」

 

「人生を変えてくれた人」

 

ライブ配信で仲よさそうにふざけあう二人。

そこには普段は蓋をしている感謝の言葉、それを口にしなくても通じ合う硬い絆を感じました。

 

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廉さんの夢は「東京ドームとかよりも、地元に帰って、地元のホールをパンパンにする様な愛のあるアーティスト」

 

身近に寄り添う言葉で、廉さんは私達に愛を問いかけます。

私達はもう充分、廉さんから愛を受け取っているという事は言うまでもありません。

しかし、松丸廉という天才、いや、努力家は、これからも更なる愛を私達に与え続けていこうとしています。

 

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君だけの歌【アーティストインタビューvol.1・樋口和真】

 

初めてのインタビューを受けて頂いたのは樋口和真さん。

埼玉県出身で笑顔が素敵な、優しい方です。

和真さんは「君だけの歌を作ります」という活動をしていらっしゃいます。

 

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今回はそんな和真さんの音楽への思いを拙い文章ながら、お伝え出来ればなと思います。

 

「今度は俺が世界を変える!」

 

「元々サッカーをやっていたけれど、余り好きじゃなかった。」

 

中学の頃、サッカーの実力は海外へ行くほどの折り紙つき。

しかし、その上手さ故に好きでもないサッカーを辞めるに辞められなかったんだとか。

 

そんな時、和真さんを救ったのが音楽でした。

 

「音楽に救われ、自分の世界が変わった。今度は俺がみんなの世界を変える!」

 

こうして和真さんは音楽の道へと進んでいきます。

作曲を始めたのもこの頃でした。

 

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「あなただけの曲を作ります」

 

これはどういった活動なのでしょうか。

 

「その人にとっての忘れたくない出来事、思い出を曲として残す。」

 

曲とは一般的に不特定多数の人達へ向けて作られます。

一方、和真さんは個人の為に作っています。

それは大変な労力と時間を要するはずです。

 

「その人にとっては一生聴き続ける曲になるから」

 

成る程、そうした一人の為に時間をかけて作られ、思い出のこもっている曲だからこそ、一生聴き続ける価値が生まれる。

そして、和真さんがアーティストとして大きく成れば成る程、それらの曲に対する感動も増すでしょう。

加えて、人の数だけ曲ができる、和真さんがこの活動を続ける意義、少しづつ理解出来た気がします。

 

現在は30人の、思い、曲があるそうです。

その中でも2018年の最後に作った「ライフソング」が印象に残っていると。

 

「生きてる意味とは、人の心にどこまで残せるか」

 

和真さんはそれを音楽という自身の得意な手段で実行されています。

 

「その人の曲を作る、それが生きた証となる」

 

和真さんにとって作曲とは、私達が考えている事よりも、ずっと大きな意味を持っているのかも知れません。

これからも様々な生きた証が増えていくのを楽しみにしています。

 

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オーダーメイドのアーティスト

 

「新宿の人の多い所よりも、呼んでくれた個人の為に地方に赴いて、ライブをする方がいいんだよね」

 

嬉しそうにそう語ってくれました。

和真さんにとってファンとはどういった存在なのでしょうか。

 

「ファンの一人一人がチーム」

 

路上でライブをすることにも、ファンとの関係を築く上で、はっきりとした理由を持っている様です。

 

「路上では攻めの姿勢が取れる。人との距離が近く、通行人がファンになり易い。」

 

路上ライブは、ライブハウスでのそれとは異なり、ファンと身近に接することができます。

和真さんはファンをとても大切にしている印象です。

ファンとLINEでもやり取りをしています。

その内容はどうでもいい様な話から、悩み、真剣な話まで。

 

「不満を聴く事もできます」

 

和真さんは自分を応援してくれるファンと真摯に向き合っている様子。

それはファンにとって和真さんが必要不可欠な存在であると同様に、和真さんにとってもファンが必要不可欠な存在であると感じ取れます。

 

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挫折

 

明るく、電話越しからもその笑顔が思い浮かびました。

けれど、そんな和真さんにも挫折の経験がありました。

 

「高校時、バンドを組みたいという展望があったけれど、その学校には軽音部もなく、最悪な環境だった」

 

和真さんはさらに続けます。

 

「自分で軽音部を作りたいと先生に言った所、『お前みたいなのは他にも色々いる』といわれた。」

 

自分のやりたい事ができないという環境、これが和真さんの初めての挫折でした。

しかし、そんな環境でも和真さんは腐りませんでした。

学校が終わるとすぐにギターの練習に打ち込んだそうです。

 

「自分でやろうと思えばなんでも出来る!」

「自分はこんなにも音楽に本気なんだ!」

 

環境による挫折が、和真さんの音楽に対する本気度を気付かせました。

専門学校ではバンドを組みましたが、「このメンバーじゃ技術的にダメだから休止しよう!」とメンバーに言われてしまいます。

 

「バンドが休止して、自分として何が出来るのか?と考え、曲を作らなきゃ、作詞作曲なら誰にも負けないと思った」

 

和真さんはそう思い立ち、その後1年間を表立った活動はせず、家に引きこもってずっと作曲に励みました。

しかし、それは同時に表現するという楽しみを自ら断ち、連絡さえも断っていました。

 

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「絶賛挫折中でしたね」

 

今でこそそう明るく語ってくれますが、その期間、和真さんにとっては辛い日々であったと推測出来ます。

和真さんが表舞台に戻るきっかけは、曲を地元のグループLINEにあげた所、同級生がそれに興味をもち、チームを組んだ事でした。

 

「やっぱりライブがしたい」

 

一年という長い冬眠を経て、和真さんは音楽活動を再開します。

 

「2018年、頼れる仲間と出会い、一人じゃ何にも出来ないという事がわかった」

 

和真さんが挫折を乗り越え、今多くの人の心を動かしているのは、こうした仲間やファンという人との繋がりがあるからこそかも知れません。

そしてその想いを曲に乗せ、感謝の気持ちを伝えています。

 

 

「東京ドームで全員知っている人達の中で、みんなが知っているみんなの曲を歌いたい。そして、アーティストとして教科書にも載りたい!」

 

和真さんのその決意には迷いがありません。

「東京ドーム」という目標にもファンとの関係を重視しています。

イメージしましょう。

今このブログを読んでいるあなたの歌が、生きた証が、東京ドームという晴れ舞台で和真さんの喉を震わせ、私たちの鼓膜をも震わせています。

そんな日が来るのはそう遠くないかも知れません。

 

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